私たち行政書士が受ける市民の法律相談の多くが相続に関するものです。お困りごとのなかには、「きちんとした遺言書があれば、こんな苦労はせずに済んだのに」と思われるものが多くあります。
遺言さえあったなら、このような苦労はせずに済んだのに…
最近の相談で、このようなお悩みを伺いました。
Aさんは、姉のBさんを長年介護してきました。Bさんが認知症を患ったために、老人介護施設に入居した後もBさんをサポートしてきました。今年7月にBさんが亡くなったために、Aさんは葬儀、納骨などの死後事務の一切を行いました。
Bさんはそれまで安心サポートサービスにより、日常生活に必要なお金の出し入れの管理を受けてきました。Bさんの死後、Bさんの通帳はAさんに返却されました。しかし相続人ではないAさんはBさんの通帳から預金を引き出すことができません。相続人は離婚した前の夫との間に生まれた息子Cさんだからです。Aさんは息子のCさんと一度も会ったこともなく、どこに住んでいるかも知りません。
「残った預金は多くはないのですが、葬儀費用等の一部でも回収したいのです。どうすればよいのでしょうか」とのご相談でした。Aさんの話ぶりからは姉妹愛の深さが感じられ、Aさんがとてもお困りされている姿に胸が痛みました。
Aさんは、Bさんの戸籍をたどってCさんの現住所を調べ、Cさんの協力を得て費用を返してもらわなくてはなりません。かなりの労力が必要で、それでもうまくいくとはかぎりません。 もしBさんが認知症を患う前に、残った預金をAさんが使えるように遺言を残しておけば(あるいは家族信託契約を結んでおけば)、Bさんはこのような窮地に追い込まれずに済んだはずです。
遺言で「最期の責任」を果たしましょう
遺言は、自分が生涯をかけて守り築いてきた大切な財産を、残された家族や大切な人に有効に活用してもらうための制度です。
世の中では、きちんとした遺言がないために、相続をめぐり、親族間で争いの起こることが少なくありません。有効に活用してもらおうと残した財産が、逆に親族間の骨肉の争いになる悲劇を招かないよう、ご自身の最期の責任を果たされることを強くお勧めします。 遺言には、自分の残した財産の帰属を自らが決め、相続をめぐる争いや大切な遺族の困窮を防ぐという目的があります。それは、大切な人たちに送る「最期のメッセージ」であり、あなたの「生きた証」にほかなりません。
どのような家庭に相続争いが起きやすいか?
とくに以下のような家庭では、相続争いを避けるためにきちんとした遺言が必要となります。
❶主な財産が自宅のみの場合など
主な財産が自宅のみの場合など、金融財産(預貯金や有価証券等)が少ない場合、平等な遺産分割が困難になり、相続争いが起きやすくなります。誰かが自宅を相続し、その相続人の預貯金などから他の相続人に代償を支払う(代償分割)とか、自宅をすぐに売却でき、その代金を公平に分ける(換価分割)ことができればいいのですが、そうした条件がないと遺産分割協議が難航します。
その結果、不動産を共有名義にした場合(現物分割)、その後にさまざまな問題が発生します。自宅を共有名義にした場合、自宅に実際に住んでない相続人にとっては恩恵が得にくいですし、その後の相続が発生した場合は相続関係がますます複雑化してしまいます。また不動産が共有となった場合、改装・取壊し・売却する際に全員の同意が必要となり、管理や固定資産税支払いなどを誰が行うかの問題が起こります。
また売れにくい不動産(農地など)がある場合も、協議がスムーズに進まない可能性があります。
❷優遇を受けた相続人、介護してきた相続人がいる場合
特定の人だけが故人から資金援助を受けていた場合には、遺言書の中で他の相続人に配慮する必要があります。
また、特定の相続人だけがあなたの療養看護や介護をしてきた場合にも配慮が必要です。この場合には、遺言書がなければ、他の相続人が均等な相続財産を要求することがあります。そうすると、長年、親のお世話をしてきた相続人は「これまで何もしてこなかったのに、このような要求は納得できない」との感情が高まります。
したがって、自分が認知症などを患う前に、長年尽くしてくれた相続人に報いる遺言書を書いておく必要があります。
民法には、こうした場合に備えて、特別受益者(民法第903条、第904条)や寄与分(民法904条の2)などの規定がありますが、あらかじめ遺言などで円満相続できるようにしておくことが賢明でしょう。
➌遺言書の内容が不適切な場合
遺言書は残される相続人たちの立場を考えて作成しないと、逆の結果を生み出します。故人の偏った考え方や過去の援助額を無視した内容の遺言書を残したために、相続争いを引き起こすことがあります。
これを防ぐためには、遺言者と相続人のコミュニケーションが大切です。例えば盆や正月など家族が集まった時に、自分の財産の内訳を伝え、どういう理由で、誰にどれだけの財産を分けたいのかを明らかにし、自分の気持ちを伝えてはいかがでしょうか。その時に、自分の子どもたちの配偶者も同席してもらうのが最善でしょう。できれば、このときの子どもたちの意見や反応を確かめて遺言書を完成させるのが一番良いと思います。
遺言の中で、なぜこのような遺言にしたのかがわかる、心がこもった「付言」を残すことも大切です。
❹前の配偶者との子どもがいる場合
後妻と前妻の子との間では、相互の関係性に欠けるため、とかく感情的になりがちです。この場合は遺産争いが起こる確率が高くなるため、遺言で相続分をきちんと定めておく必要性があります。
その他、遺言作成がとくに必要なケース
そのほか以下のような場合は遺言の作成が望まれます。
❺遺産分割協議が困難になる場合
そもそも推定相続人の中に「認知症の人」などがいる場合、遺産分割協議を行うには家庭裁判所に「成年後見人」を選任してもらう必要があります。同様に、相続人の中に「行方不明の人」「未成年者」がいる場合も、家庭裁判所にそれぞれ「不在者財産管理人」「特別代理人」を選任してもらわなければならない可能性があり、遺産分割協議を進めること自体が大変になります。
❻夫婦の間に子供がいない場合
子どものいない夫婦のうちご主人が死亡した場合で、その両親がすでに亡くなっているときは、法定相続によると、亡夫の財産を、妻が4分の3、亡夫のきょうだいが4分の1の割合で分けることになります。妻と亡夫のきょうだいとの付き合いがあればまだしも、疎遠な関係であれば財産分割協議がスムーズにいかないこともあろうかと思います。とくに亡夫のきょうだいが亡くなられていた場合、妻と代襲相続人の甥や姪との協議になります。
子どものいらっしゃらないご夫婦は、配偶者に必要な財産を相続させるための遺言を、お互いが書いておくのが良いと思います。
また、長年連れ添った妻に全財産を相続させたいと思う方も多いでしょう。そのためには、遺言をしておくことが必要です。きょうだいには遺留分がないため、遺言さえしておけば、全財産を大切な妻に残すことができます。
❼相続人でない人に財産を分けたい場合
長年、夫婦として連れ添ってきても、婚姻届を出していない内縁の妻には相続権がありません。内縁の妻に財産を残してあげたい場合には、必ず遺言をしておかなければなりません。
長男の死亡後、その妻が亡夫の親の世話をしてくれているような場合には、亡長男の妻である嫁にも財産を残してあげたいと思うのではないでしょうか。しかし嫁は相続人ではありません。民法の改正によって「特別の寄与者」が認められるようになりました(民法1050条)が、そのためには、お嫁さんが相続人に対し、寄与に応じた額の金銭の支払を請求し、当事者間の協議が調わないときは、一定の期間内に家庭裁判所に協議に代わる処分を請求しなければなりません。あなたが長男の嫁に遺贈する旨の遺言を残せば、財産を確実に分けることができます。
❽家族関係に応じた適切な財産承継をさせたい場合
個人で事業を経営したり、農業を営んでいたりする場合などは、複数の相続人に分割してしまうと、経営の基盤を失い、事業等の継続が困難となります。このような事態になることを避け、家業等を特定の者に承継させたい場合には、家業の維持に必要な資産を事業承継者に相続させ、他の相続人との間では代償金で公平を図るなど、きちんとその旨の遺言をしておかなければなりません。
上記の各場合のほか、①特定の財産を特定の相続人に承継させたいとき、②障がいのある子に多く相続させたいとき、③老後の面倒を見てくれた子に多く相続させたいとき、④孫に財産を残したいときなど、遺言者のそれぞれの家族関係の状況に応じて財産を分けたい場合には、遺言をしておく必要があります。
❾相続人が全くいない場合
相続人がいない場合には、特別な事情がない限り、遺産は国庫に帰属します。この場合、①特別世話になった人に財産を譲りたいとき、②宗教政治、社会福祉、自然保護、動物愛護の団体や各種の研究機関等に寄付したいときなどは、その旨の遺言をしておく必要があります。
遺族の幸せを想い、大切な日々を笑顔で過ごしませんか?
超高齢社会の到来の中で、日本でも遺言の重要性についての認識が少しずつ広まってきています。2020年7月には自筆証書遺言の法務局保管制度もはじまり、現在は死亡者の1割ほどが遺言書を作成しているとされます。しかし、依然として相続トラブルは増加傾向にあり、まだまだ遺言制度が有効に活用されているとは言えません。
相続対策に早すぎることはありません。遅きに失することがないように、遺言を作成し、「自分の遺産を、誰に、どのように分けるか」という自分の意思を実現しましょう。そのことをとおして相続をめぐる争いを防止し、円満な相続を実現しましょう。遺言を作成しながら、今後のご遺族の幸せな人生に想いをめぐらせ、大切な日々を笑顔で過ごしましょう。